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【書評】教養としてのテクノロジー 読んだけど難しい

教養(きょうよう)とは

個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。

 wikipediaより

 

堀江貴文さんと落合陽一さんの「10年後の仕事図鑑」を読んだ後、このお二人以外でテクノロジーがもたらす未来の社会への影響に関する本を読みたくなり、この一冊を手に取りました。

 

本書では単なる新しいテクノロジーの紹介や未来の予測だけではなく、その背景にある考え方や、それがもたらす価値観の変化の重要性について説いた内容となっています。

 

ただ本書は結論が分かりづらいところがあります。著者が何を言いたいのか自分なりにまとめてみました。

 

 

著者 伊藤穣一さんとは

MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ所長と間違いなく情報技術における最先端の人物です。経歴を調べてみると、「教育カリキュラムに失望し大学を中退。」「シカゴでDJをし、六本木のクラブを経営した。」などと、行動力にも長けた人物であることが窺えます。

 

AIと労働

人生の意味を見直す人が増える

ユニバーサルベーシックインカム(UBI)

AIが社会を変えつつある現状を踏まえ、欧米ではUBIの導入の検討がなされています。U導入されると経済の格差が狭まり、よりよい仕事をしようと教育や訓練を受け、ひいては経済が活性するという考え方に基づいています。

 

しかし旧共産主義国のように「誰も働かなくなるのでは?」と心配になってしまうが、著者は「皆が働くことは辞めるとは思えない。<お金>のためだけに働くことが人間のあるべき姿ではない。」と述べています。

 

日本人が死ぬときに後悔すること

『人が死ぬときに後悔すること』で検索するとお金・仕事に関する内容は少なく、

「もっと好きなことをやれば良かった」

「もっと家族との時間を大事にすれば良かった」

「もっと健康を大切にすれば良かった」

といった人生を楽しまなかったことに後悔する内容が並びます。

 

私も 海外の暮らしをレポートするテレビ番組や記事を見ると、その生活の豊かさに憧れを抱きます。日本には日本の良いところもたくさんあるとは分かっているのですが、「仕事に対する意識は見直したほうが良いのではないか?」と考えるようになりました。

 

 

仮想通貨と国家

非中央集権化が進むが、一定のルール作りも必要

 仮想通貨の理念

ビットコインはサトシ・ナカモトにより「国家の信用に依存しない電子取引システムの提案」として注目を浴びました。そこには「経済的な自由=国家からの独立」の理念がありました。しかし現在は儲け主義に陥ってしまっており、バブルの状態となっています。インターネットバブルの時と同様、バブルが終わった後に本当の変革が始まると言われております。。

 

その時には仮想通貨にも一定のルールが求められるが、それは国家であってはならない。利害関係のない学術組織が望ましい

 

(筆者は仮想通貨の黎明期からその開発・普及活動に携わってきたというだけあって、現状の仮想通貨の状況を残念に感じていることが伝わってくる内容でした。

 

 ブロックチェーンと資本主義

多様な通貨が登場する。通貨はもっと多様であるべき

 ここ数年で経済危機と呼ばれる出来事が何度かあったが、経済を有機体と考えるならば様々な通貨があったほうが多様性を持ち、「しなやかさ」「回復力」に優れている。

ブロックチェーン

ブロックチェーンとは取引データを暗号化して、一つのブロックとして記録し、ネットワーク上で分散的に管理する技術。一か所に集中せず複数のコンピュータにより共有されるため、「高いセキュリティ」「低コスト」「透明性が高い」とされている。

いち早くその技術を活用している仮想通貨やICOに資金が 流れ込んでいる。また今後は銀行などの仲介業者が不要となる

様々なものに価値がつく

様々な通貨・価値の例として、二酸化炭素の排出量やマグロの漁獲量、オイルなどが通貨となりえる「自然通貨」の紹介されています。またネットゲームWoWの例を用いて同じ価値観を共有するグループにおけるお金では買えないものに(プレイ時間や、知識、役割、戦術性)価値があると紹介されています。

 

上記のように ある特定の価値観やコミュニティを持つ人はどんな価値をお金に交換して生活してくかを検討していく必要がある

 

 機械と人間(身体拡張、自動運転)

正しい倫理を設定することができるか 

パラリンピックはオリンピックを超える競技会となる

義足はこれまで切断などで失ってしまった足の変わりだった「補う」ものだったが、科学技術の進歩により人間が持つものより優れるものとなってきた。

いつの日かパラリンピック「障害者」から「拡張者」の競技に変わった際、「倫理的な是非」が問われる。

 パラリンピックは先行する形で新しい倫理の在り方を社会に投げかけることになる。その時はそもそも論から考え直す必要がある。

 

自動運転は犠牲者に優先順位をつける

現状も技術的な課題は残るが、それはエンジニアリングで解決が可能。重要なのは倫理に折り合いをつけること。

例えば どうしても避けられないタイミングで子供が飛び出してきた場合、歩行者側にハンドルをきる、だがそちらには他に親子がいる。。。といった具合に、犠牲者に優先順位をつけなければならなくない場合を想定したアルゴリズムを組む必要がある。

「これから正義の話をしよう」でも話題になったトロッコ問題として有名です。

しかしこれはもう単なる思考実験ではなく、自動運転という直前に迫った技術に対して答えをださなければならない課題となってきた。

  

教育

「なぜ学校に行かないといけないのか?」

世界中どの学校でも「ロボットのような人間」を一生懸命育てている。

これからは機械が人間を置き換える時代が始まるなか、本当にこのままでよいのか?

 

アンスクーリングとは

アメリカでは『アンスクーリング(学校教育に頼らない教育)』という新しい潮流があり、その教育の哲学は「セルフディレクテッドラーニング(自発的学習)」である。

子どもが何を学びたいかすべてを自分で決めて、どのように学ぶかも決める。どのように調べるかも大人は教えないといった子供に高い自主性を求めるもの。

 

  • 実際に10歳くらいまで読み書きに興味を示さない子もいる
  •  競争に勝つこと(テストで良い点をとること)は必要ではない
  • 人とテクノロジーを使ってコラボレーションしながら知識を得ることが目的
  • 子ども自身が持つ興味や疑問をどのようなツール・知識が必要だと感じることから始める
  • もっとも重要とされるのは「社会とのつながり」。国籍も年齢も性別も関係なく、つながっていくことで成長していく。

 

二人の子を持つ私としてはちょっと不安になる学習方針です。基本的な知識も身につかないのでは?と心配してしまうが、子どもが「これに意味がある」と意識したタイミングでスキルは自然と身につくとしています。(確かに分からないことはググればほとんどが分かることばかりですからね。)

 

 アメリカでも賛否両論があり、アンスクーラーの子たちは第一志望のキャリアに進学する人もいれば、一流とは呼べないところに行く人も多いようです。

何をもって成功とするかは人それぞれであり、ただ一ついえることはアンスクーリングで育った人たちは多種多様に富んでいるとのこと。

 

まとめ

それぞれのテクノロジーの知識も重要だが、本当に重要なのはそれらテクノロジーを使う人間側の考え方や価値観といった本質を捉えること。

まさしく『教養(個人の人格や学習に結びついた知識)としてのテクノロジー』なのだと思います。